アイルランド雑記

ジミー・グラルトンとは?~国外追放されたアイルランド人~

映画『ジミー、野を駆ける伝説』(原題:Jimmy’s Hall)の主人公であり、実在したアイルランド人活動家Jimmy Gralton(ジミー・グラルトン)についてご紹介します。

映画を観て気になった人も多いのではないでしょうか。

映画には描かれていない、彼の生涯についてご紹介します。

ジミー・グラルトンとは

The only Irishman ever to be deported from Ireland

1886年4月17日生まれ、リートリム県エフライナー出身の労働者。

政治的立場はコミュニストです。

新聞社の記事などに、The only Irishman ever to be deported from Irelandといったフレーズが書かれることが多いです。

つまり「アイルランドから追放された唯一のアイルランド人」。

センセーショナルな文言ですが、事実なのです。

1933年、ジミーは自身の「政治的信念」を理由にアメリカに追放され、それ以降母国に戻ることはありませんでした。

10代~(イギリス・アメリカ)

10代の内はイギリス軍に参加し、その後はリバプールなどで働きました。

1907年、21歳の時にイギリスで貯めた資金を手に、ブルックリンに渡ります。

ブルックリンで約14年間を過ごし、米国海軍にも入隊しました。

これにより、米国市民権が取得できたようです。

集会所の建設~(アイルランド)

アイルランド独立戦争が終わる直前の1921年夏に、ジミーは故郷リートリムに帰ります。

海外で得た新しい知識自由という概念を広めようとしていました。

Pearse-Connolly Hallという集会所/ダンスホールを親の土地の一部に建てると、すぐに地元の人が集う場所となります。

教育の場としても使われていましたが、同時に自身の思想を啓蒙する場ともなっていました。

また、大地主から土地を差し押さえられ、立ち退きを迫られた借家人に土地を回復させようとする活動も始めます。

こうした行動により、アイルランド自由国政府に目を付けられることになります。

逮捕されることを避けるため、1922年にまたアメリカに渡りました。

※一度投獄されて、釈放後に渡米したという説もあるようです。

アイルランドに再帰国~

1932年、兄Charlesの死をきっかけに、10年ぶりに故郷に帰りました。

映画『ジミー、野を駆ける伝説』ではここからのことが描かれています。

この時、アイルランドでは政権交代が行われました。

ジミーも新政権の政治活動に参加しますが、過激な思想を理由に除名されます。

その後、アイルランド共和国軍(IRA)に加わり、さらに集会所も再開していました。

しかし地域の聖職者たちは集会所やジミーらの活動に断固として反対しており、一部の熱心な信者により集会所は焼き払われてしまいました。

アイルランドからの追放令

1933年2月、ジミーは「不法滞在の外国人」とみなされ、3月までにアイルランドを出るよう命令が下されました。

米国パスポートを持っているということが、相手にとって好材料となったと思われます。

ジミーは公正な裁判を求めて逃亡しましたが、6ケ月後の1933年8月10日コーク付近で捕らえられ、その後に強制送還となりました。

その後ジミーはアメリカで暮らしました。

ジミーの故郷の近くの村、ドラムスナ(Drumsna)出身のBessie Cronogueと結婚しましたが、その後まもなくして胃がんで亡くなりました。(1945年12月29日)

グラルトン家への謝罪

2016年、ジミーの故郷であるエフライナーにモニュメントが建てられました。

その除幕式でアイルランドのマイケル・D・ヒギンズ大統領が国を代表してグラルトン家族に謝罪の意を述べました。

「権力者の政治的目的および聖職者の圧力により、彼の政治的信念を理由に不当に追放された」とし、「追放は間違いであった」ということを述べています。

これは2014年に映画が公開され、その後に追放令の取り下げと謝罪を求める運動が起こった流れのようです。

参考

以上、ジミー・グラルトンの生涯に関しては、The Irish Timesの記事などを参照しています。

Jimmy Gralton, the only Irishman ever deported from Ireland/The Irish Times)

Higgins apologises for treatment of deported Irishman/The Irish Times)

Gralton, James/The Dictionary of Irish Biography)

おわりに|感想

ジミー・グラルトンの思想の良し悪しは分かりません。

良いか悪いかで判断できることではないでしょうし、彼の思想が危険なほど過激だったのか、そうでなかったのかも判断できかねます。

(映画を観ている以上、どうしてもジミーに感情移入してしまいますが。)

ですが、「思想を理由に国外追放するのは間違いであった」というのは確かだと思います。

その考えのもと、大統領は謝罪し、追放を取り下げたのだと思います。

ですが、、、それが2016年。。。

長いな、というのが率直な感想です。

2016年になったことを批判するつもりは全くありませんが、なんとも切ないです。(切ないという言葉が正しいか分かりませんが)

「追放取り下げ」のきっかけとなったのがこの映画だそうなので、この映画が1つの歴史を動かしたと言えるのではないでしょうか。

遠く離れた日本にまで届いているわけですし…。

当時のアイルランド国内の状況についても、もっと知りたくなりました。

ABOUT ME
ごま
アイルランドワーホリ&学生ビザ経験者です。現在は英語を使った仕事をしています。 当ブログ名のGo Maith(ゴマ)は、アイルランド語でgoodを意味します。 海外生活、英語情報を中心に発信していきます!